小学1年生~4年生のころのお話
【第1話】なーんにもできないから、ただ諦めていたという話 ⇐今ココ
【第2話】頑張ることが楽しいと思ってから人生変わったという話
【第3話】ライバルと競い合い、切磋琢磨できたという話
【第4話】バーンアウトシンドロームな上にオタクになったという話
【第5話】アニメを見て将来やりたいことが見つかったという話
【第6話】落ちこぼれて、自己否定感がマックスになったという話
【第7話】手帳をパートナーに、勉強法を武器にして人生が変わったという話
【第8話】浪人生活を過ごして失敗から学べる人間に進化できたという話
【第9話】聖地へ赴き、とりあえず部活を作ってみたという話
【第10話】教育って訳がわからないけど、おもしろいうという話
【第11話】答えはいつも自分の中にあると分かったという話
運動が苦手過ぎてコンプレックスだった
小さいころから僕は運動がめっちゃ苦手でした。
「汗かくのがイヤ!」という謎理論で運動することを昔から放棄している人間でしたから・・・
こんな考えの人間だったので、スポーツは得意になるはずもなく、走るのも苦手、泳ぐのも苦手、球技も苦手、マット運動も苦手、縄跳びも苦手。
たぶん体を動かす遊びは全て苦手でした。
ドッジボールだったら、一番最初に狙われて外野に行く人でした。
ケイドロ(ドロケイ)という、警察役と泥棒役に分かれてやる遊びでもいつも敗北していました。
警察役だったら、泥棒は全然捕まえられないし、泥棒だったら速攻で牢屋行きでした。
逆上がりもできないし、二重跳びもできないし、とにかくできることがありませんでした。
こんなことがありまくっていたので、運動系はダメだと思っていました。
友達ができることが、僕にはできない。
くやしい思いもありましたが、半分諦めに近いような感情を抱いていました。
「いつものことやなぁ~」ってかんじに。
当然、自信なんかつくはずもありません。
本当にコンプレックスの塊でした。
友達のランドセルを追いかけていた日々
学校からの下校中でも僕は友達から遅れをとっていました。
いっしょに帰っていても、友達が走れば僕は置いてけぼりにされます。
みんなのほうが、僕よりも走るのが速いので。
途中で友達3人が歩き出しました。
僕は頑張って遅いながらも走り続けていました。
だんだんとランドセルが大きく見えてきた。
もう少しで追いつけそうです。
追いついた!
と思った瞬間、前を歩いていたみんなが一斉に走りだすのです・・・・
友達のランドセルは、どんどん、どんどん僕の手から離れていきました。
「待ってや!」
と大きな声で言っても、友達の耳には僕の声は届きませんでした。
友達はどんどん離れていく・・・
僕は走り疲れたので、もう諦めました。
今思えば、めっちゃひどい話ですよ。
泣いて当然ですよね・・・?
遊戯王カードが僕を救ってくれた
周りの友達は何でもできました。
遊びでも僕は友達になかなか勝てなかった。
「大乱闘スマッシュブラザーズ」や「カービィのエアライド」といった当時流行っていたゲームがあるのですが、それでもいつも僕は最下位でした。
みんな強すぎる・・・。
いつしか、自分は弱くて当然、友達は強くて当然、だと思い込んでいました。
ただ、周りの友達と対等に渡り合えたのが、6歳から始めていた「遊戯王カード」というカードゲーム!
遊戯王カードだけは僕を裏切らなかった!
遊戯王カードというのは「世界一販売枚数の多いトレーディング・カードゲーム」としてギネス認定されているほどの、日本で生まれた世界中で楽しまれているカードゲームです。
現在もアニメがやっていて、2019年で遊戯王カード誕生20周年を迎えました。
1対1で対戦する遊戯王カードでは、友達に勝ったり、負けたりしてめっちゃ楽しかったんです。
唯一、勝つ経験を与えてくれたのが、遊戯王カードでした。
遊戯王カードのおかげで、計算スピードやデッキ構築能力、戦略の立てる能力、シャッフルの技術などが上がりました。
友達も増えました。
計算スピードというのは、ライフポイントの計算です。
遊戯王はライフポイントという、各プレイヤーが初めから平等に与えられた持ち点のことで、4000ポイントや8000ポイントで始めることがほとんどです。
例えば、攻撃力3000のモンスターが、攻撃力1800のモンスターに攻撃したら、
3000-1800=1200ポイントのダメージを相手に与えることができます。
そうすると、ライプポイント8000から1200ポイントを引いて6800という計算になります。
今思うと、僕の計算能力は、学校の計算ドリルというよりかは戯王で養ったものだったかもしれません。
遊びの中で計算力を高めるってなんかいいですね!
遊戯王カードのおかげで、僕は少し自分に自信をもつことができたので、今でも遊戯王には感謝しています。
「しょせん、遊びだろう?」
と言う人もいるかもしれませんが、遊びであっても自信は自信なんです。
僕にとってはかけがえのない自信なんです。
チャレンジためる系男子だった
計算は遊戯王のおかげで好きだったのですが、その他の勉強は好きではなかったので、あまりやっていませんでした。
得意じゃないものは楽しくないですし、やりたくありませんでした。
だから、基本遊んでいました。
進研ゼミの「チャレンジ」という通信教育をやっていて、毎月ワークが届くのですが、全くやらなかったので溜まっていくばかりでした。
母親は「勉強したくなかったらやらなくてもいいで」というスタンスの人だったので、チャレンジは小学生の3年生くらいでやめてしまいました。
英会話も週に1回やっていましたが、全然練習もしなかったので、話せるようにはなりませんでした。
小学校1年生~5年生の途中まで習っていましたが、習っていてよかったと思うのは、
- アルファベットを覚えられたこと
- 英語というものに対する抵抗がなくなったこと
くらいですね。
遊戯王しか取り柄のない人間だった
というかんじで、勉強もスポーツも、遊びもダメダメなダイチでした。
本当に胸を張れるのは、遊戯王ただ1つでした。
小学生のヒエラルキーを考えると、底辺に僕がいたことはこの話から分かってもらえると思います。
だって、高校生までって、スポーツ、勉強ができないとピラミッドでいうと最下層じゃないですか(笑)
もう、コンプレックスだらけでしたね。
でも、こんな僕にも少しだけですが、転機が訪れました。
小学5年生のことです。
【第1話】なーんにもできないから、ただ諦めていたという話
【第2話】頑張ることが楽しいと思ってから人生変わったという話 ⇐次はココ
【第3話】ライバルと競い合い、切磋琢磨できたという話
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【第8話】浪人生活を過ごして失敗から学べる人間に進化できたという話
【第9話】聖地へ赴き、とりあえず部活を作ってみたという話
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