小学校5年生~6年生のころのお話
【第1話】なーんにもできないから、ただ諦めていたという話
【第2話】頑張ることが楽しいと思ってから人生変わったという話 ⇐今ココ
【第3話】ライバルと競い合い、切磋琢磨できたという話
【第4話】バーンアウトシンドロームな上にオタクになったという話
【第5話】アニメを見て将来やりたいことが見つかったという話
【第6話】落ちこぼれて、自己否定感がマックスになったという話
【第7話】手帳をパートナーに、勉強法を武器にして人生が変わったという話
【第8話】浪人生活を過ごして失敗から学べる人間に進化できたという話
【第9話】聖地へ赴き、とりあえず部活を作ってみたという話
【第10話】教育って訳がわからないけど、おもしろいうという話
【第11話】答えはいつも自分の中にあると分かったという話
アニメ「メジャー」を見てソフトボールを始めた
小学校5年生から、地元のスポーツ少年団(略してスポ少)というところに入りました。
スポ少の中には、バドミントン、テニス、バレーボール、卓球、ソフトボールなど様々なスポーツがあり、僕はその中でも家から徒歩5分のグラウンドでやっていたソフトボールを選びました。
選んだ理由は、当時NHKでやっていた大人気野球漫画原作の「メジャー」というアニメを見て、野球みたいなのをやってみたいと思ったからです。
あと、丁度たまたま友達が誘ってくれたというのもあります。
野球を昔から真剣にやっていたわけではないが、友達や兄弟で野球をやって遊んでいたという友達が誘ってくれました。
スポ少のソフトボールは週1回日曜日に家から徒歩5分のグランドでやるということだったので、気軽に入ってみました。
野球とソフトボールは似ています。
だから、野球が好きな人にとっては、
「どんな感じにプレイしたらいいのか?」
「どんなルールなのか?」
というものがたいだい分かると思います。
しかし、僕は野球に全く興味がなくルールを知らなかったので、ソフトボールってどんなかんじの競技か知りませんでした。
実際、「メジャー」を見ても野球のことはルールを含め、あまり分かりませんでした(笑)
なんとなくアニメの内容がおもしろかった、というだけですね。
キャッチボールもまともにできなかった
父親はスポーツが得意で、草野球をするくらい野球が好きです。
休みの日に
「キャッチボールしようか?」
と父親から言われても、
「いいわ~」
という返答をいつもしていました。
昔からキャッチボールに僕を連れ出そうとしてくれていましたが、僕は拒み続けていました。
父親は息子とキャッチボールとかしたかったんだな~と今になって思います。
ある意味親不孝ですね。
父親からの誘いを断り続けた結果、キャッチボールすらできないダイチが完成しました。
僕と同時にソフトボールを始めた友達は、普通にキャッチボールができていましたが、僕はキャッチボールができない状態でソフトボールを始めました。
運動神経の良い人にとっては、キャッチボールができないというのはおかしいと思うかもしれませんが、運動ができない人間にとってはキャッチボールは難しいことなんですよ!
投げても相手のところに届かないこともあれば、変な方向にボールはとんでいくし。
相手がボールを投げてくれても、グローブでキャッチできず、胸や太もも、顔面にドーンでした。
いや~かなり痛かったです・・・
あとアホな話なんですが、ソフトボールという名前なので、「やわらかいボール」を使う競技だと思っていました。
ソフトボールは固いボールです(笑)
「スポーツテストで使うやつか~」って感じで、後になって気づきました。
コーチたちが僕を0から育ててくれた
こんなダメダメな僕でしたが、コーチは1、いや0から指導してくださり、なんとかある程度のキャッチボールはできるようになりました。
コーチというのは、ソフトボールを職業にしているわけではなく、普段は別のお仕事をされている30~60、70代のおっちゃんです。
貴重な休日を削って、ボランティアで小学生にソフトボールを教えてくださっていました。
きっと、僕に教えるのは大変だったと思いますよ(笑)
全然できるようにならなかったのでね。
できるようになるまで、かなり時間がかかりました。
でも、そんな僕を見捨てず指導してくださったのは、やっぱりめっちゃうれしかったです。
見捨てられていないと分かるだけでも、子供って頑張ろうと思えますし、教えてくれる人のことを好きになります。
こういう経験があったので、僕はコーチのような人間になりたいと今でも思っています。
どんなにできなくても、最後まで見捨てず、見守るつもりで気長に指導する。
こういう姿勢は、僕が人に何かを教えるときに意識していることです。
できないなりに、一生懸命練習した
初心者の友達はいましたが、次の段階に行っていました。
またまた、僕は置いてけぼりです。
キャッチボールがある程度できたら、ボールを転がしてもらって取る練習です。
通常はバットを使ってノック(コーチにボールを打ってもらって、そのボールを取る練習)をするのですが、初心者だったので手でコーチにボールを転がしてもらっていました。
コーチの手からボールが僕の元に飛んできました。
コロコロ コロコロ・・・・
よーし、取るぞ~
そして、グローブの中にボールは収まるかと思いきや…
そのまま僕の股の下を、ゴロゴロ~と転がっていくのです。
何度やってもこうなってしまうのです。
こういうのを「トンネル」と言います。
自動車がトンネルをくぐるように、ボールが僕の股の下をくぐっていくのです。
みんなはグローブでキャッチできるのに、僕だけとれませんでした。
まじで恥ずかしかったです。
でも、諦めませんでした。
コーチが僕に真剣に向き合ってくれていたからです。
そして、何度も何度も練習するうちに確実にグローブにボールが入ってくれるようになりました。
ほんの少しの成長でしたが、
コーチからも、「オッケー!」
と言われて、めっちゃうれしかったんです。
ここから、なんとなくですが、自分の中で変化が起こり始めました。
「練習したら、できるかもしれない?」
ゴロができたら次はフライです。
フライというのは、地面に転がるボールを取るのではなく、上に弧を描くように飛んできたボールを取る練習です。
軽いフライなのにもかかわらず、苦戦しまくりました。
ふゅーん、バンッ!!
「いった!!」
ここでも恥ずかしいのですが、顔面に当たることがあり、めっちゃ痛かったです。
(鼻血は出ませんでした。人生で出たことがありません。)
時にはボールは僕のグローブに入ることなく、僕の頭上を越えて、僕の後ろに落ちるということもよくありました。
フライを取ろうとして、後ろ向きにこけて尻餅をつくってこともありました。
お尻、痛かったです。お尻を打った感じです。
まぁ、コーチのおかげでなんとかできるようになりました。
本当にありがとうございました。
今の自分から見ても、当時の僕はよくめげずに頑張ったなと思いますよ。
やっぱり、なかなか思うようにできないときは辛いですけど、頑張ってその辛いことを乗り越えると、できるようになりますね。
だんだん難しくなっていて、お腹が痛くなった
最初は手投げのゆるゆるのボールを使った練習でしたが、できるようになってからはバッドを使ったノックに変わりました。
次第に打球(打ったボールの強さ)は強くなっていき、なかなか取れなくなりました。
それにたくさん走らないといけないですし、速い球は怖いですし。
だんだんとソフトボールの練習に行きたくなくなりました。
日曜日の朝8時20分には家に出るのですが、その時間になるとお腹が痛くなるのです。
お腹が痛いのを理由に休むこともありました。
こういうことは誰にでもよくあることです。
不登校の子が久しぶりに学校に行こうとすると、お腹が痛くなるのと同じです。
脳が行きなくないということを感じて、身体に休む理由を作らせるのです。
それが腹痛です。
僕が教えていた塾の生徒にも、不登校の子がいて、学校に行こうとするとお腹が痛くなると言っていました。
僕は、「まぁ無理せずに」と言うようにしています。
僕もそうだったから。
話を戻すと
いつもは見れない8時30分からの「プリキュア」を見ているうちに、お腹が痛いのはおさまっていき、元気になる。
こんなことが毎週起こるようになり、月に1回は休むようになりました。
でも・・・
ある練習のある時たまたまだったのですが、強めのボールのフライがとれたのです。
「取れた!」
と思わず声が出てしまうほど、うれしかったです。
その日は以前よりも取れるようになっていて、40%くらいしかノックのボールを取ることはできませんでしたが、それでも僕にとっては少し自信になりました。
「次も頑張ろうと!」
この日を境に腹痛はなくなっていきました。
どんなに偶然のことであっても、十分それは自分の自信になることがあります。
だから、最初からできないと諦めるのはもったいないかもしれませんよね。
だって、諦めずに挑戦したら、もしかしたら偶然成功するかもしれないじゃないですか。
たとえ偶然だとしても、一度味わった「できた!」という感覚はなかなか消えてくれません。
この「できた!」が次の行動のエネルギーになるのです。
試合でも偶然が起こった!
さらに、大きな変化があったのは小学校6年生の10月のこと。
今でも情景が鮮明に思い浮かびます。
練習試合でたまたま代打(バッティングだけ)として試合に出してもらうことができました。
チャンスがもらえるのはうれしいですね。
素振りは平日もしていましたが、ピッチャーから放たれたボールを打つことは練習でさえもできていませんでした。
どんなに遅いボールであっても、空振りしてしまうのです。
「全然あたらへんやん・・・・」
守備のほうは少しずつできていたのですが、バッティングがどうもできない。
たぶん運動神経がいい人は、何回かやっているうちに感覚でできてしまうのだと思います。
でも、僕にはそのセンスというものがまるでありませんでした。
それに、練習回数自体も少なかったと思います。
だから、バッティングに関してはヒットを打つことをあきらめていました。
ただ、
代打だろうがチャンスをもらえたからには、ゴロでもいいからバッドに当てるぞ!
という気持ちは持っていました。
「あきらめたらそこで試合終了だよ」という某漫画のセリフが頭をよぎり
やるしかないと!
そして、代打として頂いた打席に立つ。
僕にとって、試合というものはベンチやベンチの外から見るのが当たり前だったので、打席に入るという感覚だけで緊張してしまいます。
ピッチャーがボールを投げる。
スー、パパパーン!!!!
(ピッチャーがボールを投げて、キャッチャーのミットに入るまでの音)
というソフトボール特有の音を出しながら、ピッチャーから放たれたボールはキャッチャーのミットに叩き込まれる。
正直いって僕の目にはボールが見えていませんでした。
僕にとっては打てないと思ってしまうくらい速かったのです。
こんな球を試合に出ている友達は打っていたのか・・・
でもやるしかない。
そして、1ボール2ストライクの場面で、僕は全力でバットを振った!
カーン!!
僕は打席で突っ立っていた。
「走れ!」
と友達やコーチの声が聞こえる。
そして気づく。
どうやら、打ったらしい。
打った感触を味わったことがなかったので、周りから「打ったぞ、走れ!」という声がかかるまで認識することができませんでした。
よく分からないまま、1塁に進む。
人生初のヒットだった。
その後、仲間のヒット、そして運もよくホームに帰ってくることができた。
これが人生で最初で最後の僕が作った1点でした。
最高にうれしかった。
周りの友達も、コーチたちも、一斉に喜んでくれた。
「頑張りが実ったな!」
とコーチが言ってくださった。
「めっちゃすごい打球やったで!」
と友達も褒めてくれました。
友達の話によると、打ったボールは80度に近いような角度で弧を描き、ライト側のファールラインぎりぎりのところに落ちたらしいです。
そしてヒットになったと。
この体験は僕にとってかけがいのないものになりました。
確かにこのヒットは「たまたま」だったかもしれません。
でも、それでも、「頑張ったな!」と周りから褒められるのは本当にうれしい。
「やっぱり、自分もやったらできるのかも!」
こうやって何年も前の小学生の記憶でも消えることなく、僕の脳裏に刻まれているのだから、当時その瞬間相当うれしかったに決まっています。
そして、この「偶然中の偶然」が生んだ経験と自信が次の挑戦を促してくれました。
【第1話】なーんにもできないから、ただ諦めていたという話
【第2話】頑張ることが楽しいと思ってから人生変わったという話
【第3話】ライバルと競い合い、切磋琢磨できたという話⇐次はココ
【第4話】バーンアウトシンドロームな上にオタクになったという話
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【第6話】落ちこぼれて、自己否定感がマックスになったという話
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