浪人生編
【第1話】なーんにもできないから、ただ諦めていたという話
【第2話】頑張ることが楽しいと思ってから人生変わったという話
【第3話】ライバルと競い合い、切磋琢磨できたという話
【第4話】バーンアウトシンドロームな上にオタクになったという話
【第5話】アニメを見て将来やりたいことが見つかったという話
【第6話】落ちこぼれて、自己否定感がマックスになったという話
【第7話】手帳をパートナーに、勉強法を武器にして人生が変わったという話
【第8話】浪人生活を過ごして失敗から学べる人間に進化できたという話 ⇐今ココ
【第9話】聖地へ赴き、とりあえず部活を作ってみたという話
【第10話】教育って訳がわからないけど、おもしろいうという話
【第11話】答えはいつも自分の中にあると分かったという話
おっしゃー!
予備校に入ってから行われたクラスを決める試験では、うれしいことに春休みの成果が出たのです。
偏差値は上がっていました。
「よしっ!!」
まぁ、受けるテストによって当然ながら偏差値というのは変わってきますが、偏差値以上に実感として勉強ができているという感覚があったのです。
この手帳を使った計画作りや勉強方法があれば合格できる!
と絶対の自信を得ることができました。
志望校は現役時代と同じところにしました。
競技かるた部のある大学で、家からも通いやすく、オープンキャンパスも行ったことがあるので、そこにしました。
競技かるたをやりたい!
という気持ちと、
もう一度リベンジしてやる!
という熱い気持ちが僕をやる気にさせました。
第2志望はペラペラぺらー
とあるホームルームで、進路指導担当の先生から
「第二志望の大学も決めましょう!」
ということを言われていました。
僕はかっこつけて、第一志望にしか興味がないと言い続けました。
本当に興味がなかったのです。
ただ、模試のときには第2志望以降の大学を判定してもらいたかったので、いちおう第2志望の大学コードを記入しておこうと思いました。
大学コードと言って、それぞれの大学の学部学科ごとにコードが与えられていて、そのコードを読み取って、模試の採点先で○判定というように出してくれます。
模試が始まるまでに大学コードが書かれた冊子というものが配布されます。
僕はテキトーに第二志望を決めようと思い。冊子のページをペラペラぺらーとめくり、指を挟みました。
ペラペラぺらー、ストップ!
その挟んだところに書いてあった大学の中から、最初に目についた大学を第二志望の記入欄に書きました。
その大学にはかるた部はなかったので、本当に興味がありませんでした。
第三志望以降もそんな感じで書いていました。
僕はまっすぐ、第一志望の大学を目指して、第一志望の大学に合格するためだけに勉強を続けました。
今思うと視野は狭かったですね(笑)
現役時代の反省を活かせた
予備校の授業は分かりやすかったですが、受けたくない授業ももちろんありました。
受けてもそこまで点数を大きく上げることはできないというものです。
そういった授業を絶対に受けないといけないという時間的な制約があったので、受験戦略という意味では理想的なものを立てて実践することができませんでした。
やはり、浪人したとはいえ、失敗の連続でした。
今思うと、もっとうまくできたと思います。
浪人しても、僕は僕でしたね。
もちろん、受験戦術という面では、現役時代の反省を生かすことはできていました。
キャリアカウンセラーに夢を壊された
今からする話は受験にあまり影響を与えなかったのですが、今の僕に影響を与えているので、いちおう話しておきます。
僕が通っていた予備校は進路にも力を入れていて、進路指導の一環としてキャリアカウンセリングが行われていました。
簡単に言えば、こんな職業につきたいなら、こんなことをしたいなら、どんな大学学部にいけばいいかという相談です。
将来のことを考えずに、偏差値や大学の名前だけで大学を選んでしまう人が多いとのことでした。
そして、思ったのと違ったということで、大学入学後に退学や自殺するというケースが大変多いみたいです。
そういった事情から、少しでもそういう人を少なくするということで、キャリアカウンセリングの資格をもった、予備校講師の人がキャリアカウンセリングを希望者に対してしてもらえるという取り組みがありました。
僕も、将来はしたいことは特につきたい職業はありませんでした。
父親が公務員だから、僕も公務員になろうかなと思っていたぐらいです。
でも、ちょっとした夢は少しだけできました。
それは、塾を作るということです。
浪人生として過ごしているうちに、予備校の勉強のやり方や今までの学校教育のやり方に疑問をもつようになりました。
あくまでも「受験」という視点からですが、教育ということに対して問題視していました。
そういうこともあり、キャリアカウンセラーの先生に
「将来みんなが自分に合った勉強プランで勉強できるような塾を作りたいです!」
と僕の最近できた夢を言いました。
すると、
「現実的に難しいし、なかなかできないよ」
と言われました。
「そっか・・・」
となんか知らないですけど、涙が出てきてしまいました。
せっかく、できた夢をぶち壊されたという感じでした。
まぁ、現実的な視点で先生は言ったのだろうと思い、僕は家に帰ってから立ち直りました。
ドリームキラー(夢を壊す人)になんて負けるもんか!
そういう気持ちがあって、現在ネットで塾(みたいなやつ)を作りました。
僕は人が夢を語るときは、現実的にどうとかいうのを別にして聞くようにしています。
だって、そういう夢が原動力になると僕自身が経験から知っているからです。
塾を作るという夢も、
大学入ってかるたがしたい!
大学受験をリベンジする!
という気持ちに加えて、新たに僕を突き動かす、パワーになりました。
僕は成長は加速し続けた
浪人生の間も僕は成長続けました。
教科の勉強が分かるようになり、できるようになるという意味でも、受験勉強の本質を学ぶという意味でも。
予備校の先生や進路指導担当の先生のおかげで、計画作りや勉強方法に磨きがかかり、
「これで合格できなくても後悔はしない!!」
と家族や友達にも話すまでに成長しました。
伸び悩んでいる周りの友達と違い努力したら、勉強したらするだけ点数や偏差値がどんどん上がっていきました。
僕は予備校であまり友達を作らないようにしていました。
といっても、数人は勝手にできました。
自習時間に影響がでないように、せいぜいお昼休みの昼食や授業と授業の間にお話するくらいの友達です。
基本は単独行動です。
授業が終われば、速攻自習室に引きこもりました。
もちろん、集中できるように休憩はこまめにとっていました。
地元(小学校、中学校のとき)の友達もたくさん浪人していたので、駅から家までの間はみんなで話ながら自転車で帰っていました。
会話はそのときやっていたので、友達と話さずに過ごすという日はありませんでした。
ストレスを解消するという意味で、友達との会話は大切だと思います。
こういった、健康面、精神面の大切さを知り、よく考えたのも浪人したからです。
同じ時間に起きて、同じ時間にご飯を食べ、同じ電車に乗り、予備校に行き、同じ席に座り授業を受け、同じ自習室で勉強して、同じ電車に乗り、同じ時間に夜ご飯を食べて、同じ時間に寝る。同じ時間に起きて、同じ時間にご飯を食べ、同じ電車に乗り、予備校に行き、同じ席に座り授業を受け、同じ自習室で勉強して、同じ電車に乗り、同じ時間に夜ご飯を食べて、同じ時間に寝る・・・・。
これを、受験が終わるまで休みことなく毎日続けました。
こんなふうに、囚人のように決まった時間に決まったことをする、というのが浪人生活のポイントだと僕は思っています。
センター試験でリベンジ!
そして、上昇気流にのっかりそのままセンター試験へ
2014年1月18日、19日
忘れもしません。
なんと2度目のセンター試験に挑み過去最高の点数を取ることができました。
総合の偏差値は54.2でした。
昨年よりも11.8もUp➚しました。
しかし、第一志望の大学はE判定でした・・・
「まじかよ・・・・」
B判定以上で、第一志望の大学を受験すると親と進路指導の先生と話して決めていました。
2浪はやらないし、なんせビビりだったので確実な合格がほしかったのです。
最終的には最初の模試からA判定が出ていた第二志望の国立大学を受験することにしました。
そのとき、泣いてしまいました。
さらに、普段穏やかな性格なのですが、あのときばかりは自分の部屋で暴れまくりました。
「やっぱり1年間の努力が第一志望合格に繋がらなかったのは悔しすぎる・・・」
「親に大金を払ってもらったのに、オレは何をしてんねん!!」
悔しい思いと、自分に対する怒りで、どうにかしていました。
そんなとき、ふと自分の手帳を見たのです。
そこには今まで自分が頑張ってきたことが書き記されてしました。
本当に心が救われました。
「ふぅ・・・・」
落ち着きを取り戻し、
「これだけ頑張ってきたんや!最後まで全力を尽くそう!」
そんな手帳を見て僕は励まされました。
手帳はまさに僕の受験のパートナーでした。
うまくいかなかった人は多かった
周りにもセンター試験を失敗した人はたくさんいました。
「まさかこの人が・・・、ウソやろ・・」
と思わず声が詰まってしまうという人もいます。
失敗した人の中にはしばらくして、勉強しなくなっていた人もいました。
逆にセンター試験でうまくいって、気を緩めて勉強しなかった人もいました。
うまくいっても、落ちる人がいたのは、残念だと思います。
僕は失敗してしまった人間ですが、次の日から心を入れ替え、この自分の計画作りと勉強方法で、勉強を再開しました。
手帳パートナーを自分の側に置いて。
次の舞台へ
受けた私立大学は全て合格し、第二志望の国立大学の合格も勝ち取りました。
国公立大学の試験の開示を見ると上から8番目と好成績だったので、
「まぁ、こういう形でもいいかー」
と妥協になりますが、最後は努力が実を結んだねと自分自身を少しだけ褒めてあげました。
両親も第一志望じゃなかったけれども、喜んでくれました。
やっぱり、進路が決まるということだけでも、親を安心させてあげられるのかと思いました。
まぁ、妹は僕をバカにしてきましたけどね(笑)
次の舞台で、僕は夢を見る。
【第1話】なーんにもできないから、ただ諦めていたという話
【第2話】頑張ることが楽しいと思ってから人生変わったという話
【第3話】ライバルと競い合い、切磋琢磨できたという話
【第4話】バーンアウトシンドロームな上にオタクになったという話
【第5話】アニメを見て将来やりたいことが見つかったという話
【第6話】落ちこぼれて、自己否定感がマックスになったという話
【第7話】手帳をパートナーに、勉強法を武器にして人生が変わったという話
【第8話】浪人生活を過ごして失敗から学べる人間に進化できたという話
【第9話】聖地へ赴き、とりあえず部活を作ってみたという話 ⇐次はココ
【第10話】教育って訳がわからないけど、おもしろいうという話
【第11話】答えはいつも自分の中にあると分かったという話