中学生編
【第1話】なーんにもできないから、ただ諦めていたという話
【第2話】頑張ることが楽しいと思ってから人生変わったという話
【第3話】ライバルと競い合い、切磋琢磨できたという話 ⇐今ココ
【第4話】バーンアウトシンドロームな上にオタクになったという話
【第5話】アニメを見て将来やりたいことが見つかったという話
【第6話】落ちこぼれて、自己否定感がマックスになったという話
【第7話】手帳をパートナーに、勉強法を武器にして人生が変わったという話
【第8話】浪人生活を過ごして失敗から学べる人間に進化できたという話
【第9話】聖地へ赴き、とりあえず部活を作ってみたという話
【第10話】教育って訳がわからないけど、おもしろいうという話
【第11話】答えはいつも自分の中にあると分かったという話
アニメ「スラムダンク」を見てバスケ部に入った
僕は中学生になってからは、学校の部活のバスケットボール部に入部しました。
バスケを選んだきっかけは、あの大人気漫画「スラムダンク」の影響を受けてです。
小学生のころ夏休みにやっていた、昔のアニメの再放送を見てめちゃくちゃはまりました。
原作の途中までしかアニメ化がされなかったので、漫画全巻を買ってそろえるくらいに。
ちなみに24巻~31巻までは小6のクリスマスにサンタさんからいただきました!
中学校でも、その運動神経の悪さ、不器用さをいつも通りに発揮し、バスケは大事な試合には出場しないまま終えることになりました。
ただ、きつくて、吐きそうになって、倒れそうになったあの練習のおかげで、忍耐力や集中力はつきました。
これは勉強にとても役立った気がします。
勉強で必要な力はスポーツからも得ることができる、ということが分かるいい経験でした。
ライバルが多い環境で勉強をしていた
バスケはあまりうまくいきませんでしたが、勉強はそこそこうまくいっていました。
僕が通っていた中学校は公立中学校でしたが、県内では勉強のレベルが高い中学校で有名でした。
もちろん公立中学校のわりには、ですが。
例えば、たいていの公立中学校ではトップ10くらいの人が県内の上位3校に行くみたいだったのですが、僕の行っていた学校では上位40番くらいの人が県内の上位3校に合格していました。
おもしろい話だと、うちの中学校の定期試験で上から60番あたりだった人たちが、県の公立高校で5番目くらいのレベルの学校に行くとトップを牛耳っていました。
それくらいの他の公立中学校よりは、勉強に対して意識が高い人が集まっていました。
その公立高校5番目くらいのレベルの高校へ行ったトップを占拠した人同級生たちの話によると、中学のときのほうがテストが難しかったと言っていました。
レベルが高いのには理由があって、全体として高め合うという雰囲気があったからだと思います。
けっこう部活も勉強もまじめにやる人が集まるような地域で、そういう人が多いせいかみんなも勉強してあたり前という雰囲気があったのだと思います。
そういった雰囲気があったので、中学校に入る前の小学校の段階で塾に行き始める人が多くいました。
僕もそのうちの1人で、小学校5年生の夏休みから塾に通い始めました。
小さな塾で僕は成長していった
塾といっても会社がやっているような大手の塾ではなく、地元から少し離れたところにある、塾の先生1人が家でやっているような個人塾です。
口コミで入塾希望者がくるような、とても小規模の塾でした。
数学と英語しか授業はなく、残りの教科に関しては自分でワークをやるという形をとっていました。
この塾は結構厳しく、ワーク30ページ以上というのがノルマでした。
30ページが最低ラインだったので、しんどかったです。
できないと、理由を聞かれ怒られていました(笑)
まぁ、部活をやりながらではきついのはきついのですが、厳しくしてもらったおかげで勉強量はかなり多かったと思います。
宿題チャンピオンっていう、宿題のページ数をランキング形式で発表してもらえたのも、モチベーションアップにつながりました。
年間のチャンピオンには、1年の終わりに何かプレゼントがもらえるので、僕はそれを狙って頑張っていました。
(1位にはなれませんでした。もっと宿題をしていた人がいました。)
「他のみんなよりも頑張ろう!」と思えたのは、非常によかったと思います。
宿題のページ数は、毎回ノートに書いていき先生に報告するような形をとっていました。
数学ワーク6ページ
英語ワーク6ページ
社会ワーク6ページ
理科ワーク6ページ
国語ワーク6ページ
みたいな感じです。
同じ中学校ではなかったのですが、同級生が4人いました。
みんなまじめだったので、その人たちに負けないようにという気持ちもあって、どんどん学力は上がっていきました。
やっぱり競い合う仲間がいると、勉強もやる気がでます。
ライバルという環境を整えるのは、勉強のモチベーションアップの方法の1つかもしれませんね。
学歴社会が僕のやる気に火をつけた
小学5年の塾に通い始める前にあった入塾テスト&面談のときに、塾の先生に言われました。
「今から勉強を頑張れば県内公立高校の上位3校は狙えるよ!」
いい高校に行けば、いい大学に行けて、いい大学に行けばいいところに就職できるという話をそのとき塾の先生は話してくださいました。
ここでいう「いい」とは「偏差値が高い」という意味です。
だから、「勉強を頑張れば県内公立高校の上位3校は狙える」という話は運動も勉強もできなくて、その他に得意なことがない僕にとってはとても魅力的に聞こえました。
後になって、レベルの高い高校に行くことが就職までを保証することではないということが分かりましたが、当時はそんな幻想を信じていました。
ということもあり、小学校5年生から塾の先生と親から「この高校に行ってみれば?」ということで、自宅から通いやすい公立高校を目標に与えられました。
押し付けられたという感覚はなく、提案されたという感じだったので、いやいや勉強するということはありませんでした。
なかなか自分から大きな目標を立てられないときは、とりあえず周りの人が言っていることを目標にしてみてもいいと思います。
もちろん、最終的には自分の人生は自分で責任をもって選択するのがいいので、目標を自分で立てるべきだと思います。
小学生、中学生あたりまでは与えられた目標でもいいでしょう。
(※与えられた目標を達成した後、自分で次の目標を探す必要があります。
僕は、高校入学後に次の目標がなく失敗しました。)
理想としては、「自分からこういう人になりたい、こういうことがしたい、こういう職業につきたい、だからこういう目標をもっているんだ!」と言えることですが。
話を戻して、
中学生になってからは、塾の授業の時間にたまに学歴社会の勉強をしました。
塾の先生の元教え子のお話でした。
その方はいい大学に行けなかったことで、いいところに就職できなかったそうです。
給料も変わってきて、生涯年収を考えると5000万以上変わることもあるという話を聞かされてきました。
それを知ったとき、勉強しないと不幸になってしまうというような感情を抱いたのでした。
「第一志望の高校に絶対合格してやる!」
という気持ちがより強くなっていきました。
だから、なんとしてでもその高校に合格してやる!という気持ちで勉強していたので、中学校1年生のときから気を緩めることなく定期テストは自分ができる精一杯の勉強をしました。
内申点も合格率を高めるための必要な要素だと教わったので、中学校1年生から提出物は完璧にしていました。
当然ながら内容もです。
定期テストが終われば、次の定期テストの範囲になるだろうところを、どんどん自学自習で進めていきました。
テストが終わったら気を緩めてもいい、という認識は僕が通っている塾にはありませんでした。
周りが常に頑張っていたので、僕も頑張るという感じです。
「学歴社会の力」というものは本当にすごいと感じました。
勉強と部活ばかりしていたわけではない
勉強だけでなく部活も頑張っていましたし、友達と遊んだりもしていました。
小学生のときからやっている遊戯王はやめることなく続けていました。
中学生になると、遊戯王をやる人が少なくなってきていたのですが、僕はずーっと続けていました。
あるとき、遊戯王のブームを再発させ、友達を集めて遊戯王の大会を開催したことも何度かありました。
最高でした(笑)
また、中学3年生のころには、当時アニメ化もされていた「家庭教師ヒットマンリボーン」という漫画にはまり、その漫画に登場するグッズに20000円以上を使うという、意味の分からないこともしていました(笑)
そして、「ボンゴレファミリー」という組織が漫画内で登場するのですが、それを中学のクラスでも友達を集めて作ったという黒歴史もあります。
その他には、仮面ライダーディケイド、仮面ライダーダブルにもはまり、中二病全開でした・・・・・
エグイ人たちのおかげで僕は頑張り続けられた
学校の定期テストの内容は、テスト1週間前には7割くらいは終わっていたので、残りの1週間で完璧にするというように勉強のスタイルです。
中学1年生のときから、ひたすらワークで予習して学校よりも先のことを自分で勉強していました。
ですので、学校で習うようなことはほとんど知っている状態です。
言ってしまえば、学校の授業は復習みたいなものでした。
分からないことがなかったので、とても余裕があり楽しかったです!
でも、これだけ勉強しても、上から15番目が最高でした。
エグイやつらがいすぎていて、正直勝てる気がしませんでした。
実力テストだけ本気を出してくる人もいたので、学年の順位としては僕は30番目くらいです。
ですが、まじめな性格だったので、通知表の成績は学年の順位の割にはよかったです。
つまり、ノートの点数(謎)や授業での発言、その他提出物、ワークシート等のテストの点数以外での評価が高かったので、オール5に近いような成績をいただくことができていました。
とにかく、まじめでしたね(笑)
僕が住んでいた県では、当時は高校入試でそこそこ点数に加えてくれるみたいだったので、内申点をもっているとある程度有利でした。
だから、僕の学校では内申点の取り合いをしていました。
内申点の取り合いとは?
繰り返しになりますが、僕の通っていた中学校はまじめな人が多いです。
見た目からまじめ君、まじめちゃん、というよりかは、部活も勉強も努力できる人が多いというかんじです。
今から学習効率の悪い、内申点にまつわる話をしたいと思います。
漢字テストの間違いノートみたいなのがあるんですが、みんなまじめです。
だから、みんな最低5個は書いてくるわけです。
そうすると、周りと差をつけないといけないと思い、次のノート提出ではみんな10個漢字を書いてくるんです。
そして、次のノート提出では20個に・・・・みたいなことが起きていました。
みんなまじめで頑張るので、評価の基準がどんどんどんどん上がっていく、というおもしろい現象がありました。
他の中学校であれば、そこまでみんな頑張らないと聞きます。
ですので、ある程度のところに落ち着くのだと思います。
国語の話を出しましたが、その他の教科でも同じようなことが起きていて、理科のレポートとか本当に評価の基準が謎でした。
先生も成績を付けるのが大変だったのじゃないかと今になって思います。
みんな内申点が欲しかったので、定期テストも頑張る人がめっちゃ多かったです。
ということは、差をつけるために点数を生徒に落とさせるようなテストを先生たちは作るわけです。
いかに点数を落とさせるかということで、テストが難しくなるのも納得がいきます。
結果的に、定期テストも県内の公立中学では1位2位を争うほどの難しさということで有名になりました。
今は知りませんが。
内申点逆転現象
僕は内申点と点取り合戦に勝利することができたのです。
だいたいの傾向として、
実力テストの結果順位=内申点の獲得点数
という式が成り立っていました。
つまり、実力テストで高得点の人は定期テストの点数がいい、定期テストの点数がいいということは内申点もいいということが成立していました。
しかし、僕についていうと成り立っていませんでした。
なぜなら、定期テストが良くて、提出物等で評価が高いと、実力テストの点数が悪くても、内申点を獲得することができたからです。
こういうこともあり、実力テストでは僕よりも点数が高いのに、内申点は僕よりも低かったなんて人もいました。
そんな実際の学力にそぐわない内申点を保持しているのがダイチという人間でした。
まさに、学校教育が生んだ負の「まじめ人間」だと僕は思っています。
「定期テスト特化マシーン」、「提出物完璧マシーン」と言ってもいいかもしれません。
僕みたいな人間は決して生まれてはいけないという考えも、僕が持つ教育に対する信念でもあります。
やっぱり、実力テストの問題を解けないといけませんね。
(国語や社会が足を引っ張っていた。)
そこまで不安なく高校受験を終えた
中学3年生のとき、受験生ではあったのですが、模試を受けずにずっと受験生を過ごしてきました。
有名な塾に行っている人は受けているということだったのですが、僕の中では「模試は受けなくてもいいもの」という認識でした。
「模試っておいしいの?」という今では考えられないような状況です。
まぁ、最後くらい受けておくか~
というノリで一番最後のとある塾がやっている模試を受けにいきました。
すると、模試の結果が返却されて見てみると、第一志望にしていた高校が「E判定」でした。
社会と国語ができなさすぎてヤバかったです。
でも、そこに推定内申点を加えるとA判定になったので、内申点ってすごいなーということを思った瞬間でした。
三者懇談のとき学校の先生からは、
「第一志望の高校に合格できることはできるけど、入学してから苦労するで」
ということを言われていました。
ふーん、そうなのか~
と思ってその時は聞いていましたが、あながち間違っていなかったということが分かったのは、高校入学後でした。
そして、ほんの少しの不安を残し高校受験に挑むことになりました。
結果的に僕は第一志望の県内の公立2番目だと言われていた高校に入学することができました。
同じ塾に通っていた5人の同級生のうち4人も同じ高校に合格していました。
僕が高校受験で勝利することができたのは、次の3つのポイントを押させていたからだと思います。
- 早い時期からコツコツと勉強を始めたこと
- 内申点を取れたこと
- ライバルに負けまいと勉強を頑張ったこと
- 予習ベースの自学自習していたこと
僕はおそらく、勉強の才能もなかったと思います。
でも比較的早い時期から、先に先にどんどん自学自習を進めていたことで、だいぶアドバンテージがとれました。
また、学校教育という枠にピタリとはまった「まじめさ」が功をなして、内申点をたくさん獲得できたのも僕としてはラッキーでした。
さらに、通っていた中学校、通っていた塾の両方で自分よりも勉強ができる人、勉強を頑張る人がいたのも、負けず嫌いの僕にとっては大変ありがたかったです。
ということを分析すると、たぶん現役時代の大学受験では失敗する運命だった、ということが分かります。
【第1話】なーんにもできないから、ただ諦めていたという話
【第2話】頑張ることが楽しいと思ってから人生変わったという話
【第3話】ライバルと競い合い、切磋琢磨できたという話
【第4話】バーンアウトシンドロームな上にオタクになったという話⇐次はココ
【第5話】アニメを見て将来やりたいことが見つかったという話
【第6話】落ちこぼれて、自己否定感がマックスになったという話
【第7話】手帳をパートナーに、勉強法を武器にして人生が変わったという話
【第8話】浪人生活を過ごして失敗から学べる人間に進化できたという話
【第9話】聖地へ赴き、とりあえず部活を作ってみたという話
【第10話】教育って訳がわからないけど、おもしろいうという話
【第11話】答えはいつも自分の中にあると分かったという話